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2018/03/15

カラサワファームのイチゴ生産者について!

カラサワファーム 井上隆太朗が語る、私がつくった“信州ごちイチゴ”。

長野県東御(とうみ)市にある“カラサワファーム”という農場でイチゴを栽培している井上です。
私がつくったイチゴは“信州ごちイチゴ”。イチゴはイチゴでも、「ワァ~!ご馳走だぁ!」と言われるような、味もカタチもゴージャスなイチゴが目標なので、この名前にしました。
それと、イチゴは1粒の場所によって味が微妙に違うと思いますが、私の“信州ごちイチゴ”はどこも均一なカンジ。ヘタの方を食べても、先端を食べてもあまり味の差はないハズ。なので、逆さに読んでも“ゴチイちご”。どこから食べても美味しいのが“信州ごちイチゴ”なんです。
おかげさまで、“信州ごちイチゴ”は、近くの“道の駅”などでとても好評をいただいていて売れ行き好調。搬入なので売り場にいたりすると、お客様からもよく声をかけられるようになりました。
この間、「生産者は?」と聞かれて、「私が一人でつくっています」と答えると、「ま~、お若いのに、おひとりでね~」なんて言われて、嬉しいような悲しいようなちょっと微妙なカンジ。
そんな私が、なぜイチゴと関わるようなったのか。どんなイチゴづくりを目指しているのかなど、自己紹介がわりのこれからのおハナシ、ちょっと付き合っていただければと思います。

生産者「井上隆太朗」が農業をはじめたわけ

私は長野県の佐久市生まれ、祖父母はリンゴ農家を営んでいました。
祖父は、25才から裸一貫でリンゴ栽培を始め、私が物心がついた頃には、「あそこのは絶品」と評判になるほどのリンゴをつくり、地元の方々にも一目置かれる存在に。
本人もリンゴづくりには強い自信とプライドをもっていました。それを裏付けるのが祖父の口癖「ウチのリンゴが一番ウマい!」。
そんな“一番ウマい”リンゴを食べながら、祖父の背中を見て育った私。
いつしか『オジイちゃんのリンゴみたいに美味しいリンゴをつくりたい』と思うようになり、リンゴ農家を継ぐ決心をしました。

農業の厳しい現実

祖父母のリンゴ農家を継ぐことを決めて、大学は農学部を選んだ私ですが、大学を卒業する頃、厳しい現実を直視しなければいけないことになります。
祖父母は歳を重ねるにつれ、自分たちの労働能力を鑑みて規模の縮小を続け、専業農家として生計を立てていくのは難しい状態。その栽培面積は約20a(20アール=2000坪)になっていました。
『20aほどの小規模農家が、どうすればやっていけるんだろう?』。思い悩んだ末、農業経営学を身に付けて『農業をちゃんとしたビジネスにすれば、規模が小さくてもなんとかななるのでは』と考え、大学卒業後、開校して間もない“日本農業経営大学校”に入学しました。

【写真】学生時代、ディスカッション中の私

多くの学びと経験で決めた生産品目「イチゴ」

“日本農業経営大学校”で多くの農業経営者の話を聞くなか、農業においての最大のリスクは“悪天候”であることに気づかされます。
『“天候”に負けない農業とは?』。
おのずと考えは“施設園芸”に向いていきます。『ハウス(屋内)で作物を育て、環境を制御して生産性を上げれば、小規模農家でも活路は開けるハズ。天候に左右されず、安定的に収益を確保できるかも』。
それからは、“ビジネスとしての施設園芸”を念頭に、農業経営の“理論”と“実践”を学ぶ日々。
“実践”では、いろいろな施設園芸農家の門をたたきました。
そんななか、あるイチゴ農家を視察して、差し出されたイチゴを一口食べた時、衝撃が走ります。
言葉では表現できない美味しさ。その味は、まさに、幼い頃に味わったオジイちゃんのリンゴの味を彷彿とさせるものがあったんです。
自分もこんなイチゴをつくりたい!』。
その時に、施設園芸でイチゴをつくることを決めました。

【写真】イチゴ農家研修風景

肌で感じた施設園芸の本場

“日本農業経営大学校”を卒業後、オランダに農業留学しました。オランダは“施設園芸”では世界をリードする最先端の国。日本いちごのルーツもオランダです。
『さすが大規模、なんと合理的』。施設園芸の本場“オランダ”で、先進のイチゴづくりを肌で感じる日々が続きます。
約40ha(40ヘクタール=4000㎡)という、祖父の農地の200倍もの規模でイチゴを生産するオランダの企業。できるだけ効率よく生産して、より多く出荷することが彼らのミッションでした。
イチゴの味に関しては品種任せで、ちゃんとした色とカタチであれば商品として出荷される。やはり、日本と外国には、果物の価値観にギャップがあることを実感しました。
オランダに留学して感じたことを総括すると、

  1. ①イチゴづくりでは“効率”も大切だけれど、最優先されるべきものでもない。
  2. ②イチゴは見た目もあるが、日本においては食べた時に最大限その価値を発揮すべき。
  3. ③イチゴはあくまでも生き物。杓子定規に当てはめては美味しいイチゴはつくれない。

帰国後、この3つのことを実践させてもらえるフィールドとして“唐沢農機(カラサワファーム)”に入社しました。(当時25歳)

【写真】研修中の私と農場長

【写真】オランダのイチゴ風景

【写真】オランダのイチゴ収穫風景

唐沢農機(カラサワファーム)との出会い

日本に帰り、“唐沢農機サービス”の農業事業部である“カラサワファーム”に入社しました。
“唐沢農機サービス”は、農機具屋でありながら、農業にITを取り入れインターネット事業も手掛けるユニークな会社です。
カラサワファームでは、約100坪の小さなビニールハウスを建てることが初仕事。
施設園芸に関しては、理論はもちろん、実践にも力を入れてきたつもりでしたが、ハウスの建設から始めるという経験はこれが初めてでした。
暖房機・煙突の適切な配置、近隣農家に迷惑がかからないような排水工事をどうするのか…などなど、未体験の課題をひとつひとつこなしていきました。
それだけに、このハウスには我が子のような愛着があります(まだ、結婚もしていませんが)。

【写真】ビニールハウス建設前風景

【写真】ビニールハウス建設風景

イチゴ栽培への想い

私には“農の先生”はいっぱいいましたが、やはり最大の師は“オジイちゃん”。祖父の口癖だった「ウチのが一番美味しい!」を目標に、自分が納得したイチゴだけをつくって、送り出すことを心がけています。
カタチや色ツヤはもちろん、収穫前には必ず味をしっかり確かめる。食べてみて少しでも不満な点があれば、水や肥料などを見直す。
ハウス内の温度・湿度・照度・二酸化炭素量の管理を自動で行っているイチゴ農家が多いなか、24時間、自分の目で見ながら、光合成・転流を促進して糖度を高くするなどして品質を保つ。
どんなに些細なことでも「一番美味しいウチのイチゴ」のために、労は惜しんでいないつもりです。

【写真】イチゴ風景

井上の目指すところ

自分で栽培したものしか「ウマい!」と言わなかった祖父。そんな祖父に「オマエのが一番美味しいよ!また食べたいよ!」と褒めてもらえるようなイチゴをつくりたい。
祖父に言わせれば「まだまだ」かもしれませんが、ちょっとは手ごたえを感じている今日この頃。もっともっとガンバって、1歩でも2歩でも祖父に近づきたいなと思っています。
私の目標は、祖父のように“自信”と“プライド”をもって仕事にあたること。普通のイチゴではなく“ご馳走”と言われるような美味しいイチゴをつくること。
若造である私が孤軍奮闘してつくった“信州ごちイチゴ”の味に、こんな想いがあることを感じ取っていただければ幸いです。

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今回、“カラサワファーム”のイチゴの舞台裏をご紹介させていただきましたが、いかがだったでしょうか?
バックグラウンドはどうあれ、結果がすべて。まずは“信州ごちイチゴ”をお召し上がりになって、忌憚のないご感想なりをいただければありがたいです。
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